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劉暁波氏の死去、哀悼の意を表明

2017年7月14日、外務省が、ノーベル平和賞受賞者・劉暁波氏の死去について、外務報道官談話を発表。
  
7月13日、中国・瀋陽市の病院で、劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏が死去した。
これを受けての外務報道官談話。
     
談話で、哀悼の意を表すとともに、自由、基本的人権の尊重、法の支配は、国際社会における普遍的価値であり、中国においても保障されることが重要であると述べた。
      
また、引き続き、中国の人権状況について、注視していくことを表明した。

【劉暁波(りゅう ぎょうは)】
中国・吉林省出身の作家で、民主活動家。
1955年12月28日生まれ。
         
北京師範大や米ハワイ大で、中国現代文学の講師も勤めた後、1989年の天安門事件の際に、アメリカから帰国。
天安門広場で、ハンストを実施し、逮捕された。

1991年に出獄した後も、中国国内に留まり、民主化を求める論文を書き続けた。
       
2008年、共産党の一党独裁体制の廃止、民主選挙の実施、人権の保護、言論、宗教、集会、結社の自由などを求めた・08憲章を、同志303人の署名とともにインターネット上に発表。
      
これにより、劉氏は、中国当局に身柄を拘束され、2010年2月、国家政権転覆扇動罪で懲役11年、政治的権利剥奪2年の判決を受けた。

遼寧省錦州市の刑務所で服役中の2010年10月8日、ノルウェーのノーベル賞委員会は、ノーベル平和賞を劉暁波氏に授与した。

劉暁波氏が、中国で基本的人権のため、非暴力的手段で闘ってきたことに対し、贈られた。
   
以前からノーベル賞の有力候補であった劉氏については、中国が授与させないよう、ノルウェーに圧力をかけ続けてきた。
       
このため、劉氏のノーベル平和賞授与については、中国国内では報じられなかった。
     
中国国内で視聴できる海外放送は、中国当局による制限が行われ、このニュースのとき、画面が真っ黒になった。

また、中国外務省は劉暁波氏へのノーベル平和賞授与決定について、「賞の趣旨に反し、平和賞を侮辱するものだ」との談話を発表した。
           
その後、アメリカやヨーロッパは、劉氏の釈放を求めてきたが、中国は収監を続けてきた。
           
2017年6月、末期ガンのため仮釈放され、中国・遼寧省の瀋陽市の病院に入院。
        
2017年7月13日、瀋陽市の病院で、末期がんのため死去。
61歳であった。
      
<天安門事件>
1989年6月4日、中国・天安門広場で、民主化を求めて集結していた学生・一般市民に対し、中国人民解放軍が無差別に発砲、武力弾圧した事件。
       
これにより、学生・一般市民、数万人が死傷した。
当時、民主化を求め、北京市内で、100万人超える学生・一般市民がデモを行なっていた。
       
なお、2010年、天安門で行なわれた民主化運動の指導者・劉暁波氏が、ノーベル平和賞を受賞した。

<08憲章>
2008年12月9日に発表された、中国共産党の一党独裁の終結、三権分立、人権の保護など、中国の民主化を求める宣言文。

中国の劉暁波氏ら、303名が連名で発表した。
シークザジパング
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