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薩長同盟の日

1月21日。慶応2年のこの日(1866年3月7日)、京都において、薩摩藩と長州藩が政治的・軍事的同盟を締結しました。
  
薩長同盟により結ばれた薩摩と長州が中心となり、倒幕が行われ、明治という新しい時代を迎えます。明治という新しい時代でも、この薩長が中心となり、政治が進むことになりました。
  

 
薩長同盟の経緯
 
幕末の1853年、アメリカのペリー提督が黒船4隻で浦賀(神奈川県横須賀市)に来航し、鎖国政策を敷いていた日本に開国を求めます。
  
このペリー来航により、日本国内は大きな影響を受けます。欧米との国力の差、アジアが欧米に植民地化されている事実を国民が知る事態となり、国家騒乱の時代に入ります。
      
欧米に対抗するには、幕府を倒し、朝廷を中心とする中央集権国家を作り、近代化を図るべきとする尊王攘夷派。この中心にいたのが長州藩です。
   
一方、長州藩とともに幕末、雄藩として大きな影響力を持っていた薩摩藩は当初、公武合体に動き、会津藩と組み、長州藩を政治の中心・京都から追い落とします。
  
京都から追い落とされた長州藩は復権を目論み、挙兵・上洛し、1864年、長州軍と薩摩・会津連合軍が京都で戦う「禁門の変」となりました。
  
禁門の変で敗れた長州藩は「朝敵」となり、幕府から第一次・長州征討を受けることになります。この長州藩の危機に、尊王攘夷派や尊王派が、公武合体派から倒幕派に変わった薩摩藩との和睦に動きます。
   
慶応2年1月21日、土佐藩の脱藩浪人である坂本龍馬の仲介により、小松帯刀邸(京都市上京区)で薩長同盟が結ばれます。
   
*薩長同盟が何時成立したかには、多数の説があります。朝敵となり外国から武器を買えなくなった長州藩に、薩摩藩名義で坂本龍馬の亀山社中(後の海援隊)が最新武器を外国から購入し、長州藩に渡したときという説。1867年の11月、薩摩藩主・島津茂久が兵を引き連れて上洛する際に、長州藩世子・毛利広封と会見し、出兵協定を結んだ時点であるとの説など
 
風景
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