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樺太・千島交換条約の日

1875年(明治8年)の5月7日、日本とロシアとの間において、国境を確定するための樺太・千島交換条約が署名されました。
       
日本とロシアとの国境は、幕末の日魯通好条約において、千島列島については「択捉島とウルップ島との間」に定められていましたが、樺太については国境を定めていませんでした。
     
明治に入ると、樺太において日本とロシアとの間で紛争が絶えず、このため、明治政府はロシアと国境問題で交渉を行ないます。
 
交渉の結果、日本は樺太を放棄する代わりに、得撫島以北の千島列島をロシアから譲渡されることになりました。これが樺太・千島交換条約で、1875年5月7日、ロシア・サンクトペテルブルクで署名され、同年8月22日に発効しました。
       
その後、太平洋戦争に敗れた日本は、サンフランシスコ講和条約で、1875年にロシアから譲渡された千島列島を放棄することになりましたが、ロシアがサンフランシスコ講和条約に署名していないことから、現在も樺太・千島交換条約が有効であるとの見解もあります。
    

*樺太・千島交換条約に基づけば、千島列島のすべてが「日本の領土」ということになります

*参考…外務省・北方領土問題の経緯
 

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画像:©外務省


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