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御堂筋(みどうすじ)拡幅

大阪市の中心部を南北に縦断する御堂筋が、幅約6mから幅44メートルの道路に拡幅されたこと。
    
1889年(明治22年)に東海道本線(東京駅~神戸駅)が全線開通し、大阪の玄関口となった大阪駅と、ミナミの中心・難波駅とを結ぶ広い道路建設が計画され、大正時代に御堂筋の拡幅工事が始まりました。
   
拡幅工事は昭和12年(1937年)5月11日に完成、街路樹にはイチョウが植えられ、御堂筋が大阪のメインストリートとなりました。
       

   
御堂筋とは
 
大阪市の中心部を南北に縦断する幹線道路。キタ(大阪駅前)とミナミ(難波駅前)を結ぶ延長4km、幅員44mの大阪のメインストリートです。
     
地下には、地下鉄・御堂筋線が走り、大阪の大動脈となっています。街路樹にはイチョウが植栽され、大阪を代表する風景を作り出しています。
 
11月中旬から年末にかけては、御堂筋イルミネーションが行われ、全長約4㎞が装飾されます。また、御堂筋を歩行者天国にして、イベントも開催されています。
  

  
御堂筋の歴史
 
現在の大阪の中心となっている上町台地の西側(大阪市中央区、西区、南区など)は、桃山時代(16世紀)に海を埋め立て、造成された土地です。
 
埋め立て後、町作りが行われ、南北に走る道は筋道(すじみち)と呼ばれました。多数の筋道が出来たため(区別するため)、それぞれの筋道に名前が付けられるようになりました。
   
北御堂(浄土真宗本願寺派・津村別院)と南御堂(真宗大谷派・難波別院)の前を通る筋道は、江戸時代から「御堂筋」と呼ばれるようになりました。
   
明治の半ば(1889年)、東海道本線(東京駅~神戸駅)が全線開通し、大阪駅が大阪の玄関口となりました。これを受け、大阪駅とミナミの中心・難波駅とを結ぶ広い道路が必要との意見が高まります。
   
大正8年(1919年)、大阪市が御堂筋の拡幅計画(幅約6mから幅44mに)を発表。大正15年(1926年)から、御堂筋の地下を走る地下鉄建設(御堂筋線)と合わせ、拡幅工事が始まりました。
  
昭和12年(1937年)5月11日、拡幅工事が完成。街路樹にはイチョウが植えられ、御堂筋は大阪のキタとミナミを結ぶメインストリートになりました。
   
なお、御堂筋の拡幅前は、堺筋(さかいすじ)が大阪の北と南を結ぶメインストリートでした。
  
風景
芭蕉・終焉の地(御堂筋)
風景
御堂筋イルミネーション
風景
御堂筋でのイベント
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