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横浜開港記念日

毎年6月2日。横浜港が開港した安政6年6月2日に因む記念日です。
   
幕末、欧米からの要求を受け入れ、江戸幕府は1858年にアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5ヵ国と、自由貿易を行うための友好通商条約(安政五ヵ国条約)を結びます。
       
この条約に基づき、安政6年6月2日(1959年7月1日)に横浜港は開港し、自由貿易が行われるようになりました。
     
開港の翌年から、開港を祝うお祭りが行われ、これが開港記念日の始まりとなりました。現在では、同日を中心に横浜開港祭が毎年開催されています。
 
また、同日は横浜市立の学校は休校日となり、横浜開港資料館、横浜都市発展記念館、横浜市歴史博物館、横浜美術館などの施設が入館無料となります。
      


開港までの経緯
 
幕末の1853年、アメリカのペリー提督が黒船4隻で浦賀(神奈川県横須賀市)に来航し、鎖国政策を敷いていた日本に開国を求めます。
    
翌1854年、開国を決めた日本は日米和親条約を締結し、下田と函館(当時は箱館)が補給港として開港します。その後、欧米各国が自由貿易のための友好通商条約締結を日本に要求します。
    
江戸幕府は欧米からの要求を受け入れ、1858年にアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5ヵ国と友好通商条約を結び、横浜、函館、長崎、神戸、新潟の開港が決まります。
       
1858年の友好通商条約は「安政五ヵ国条約」と呼ばれ、日米修好通商条約、日蘭修好通商条約、日露修好通商条約、日英修好通商条約、日仏修好通商条約の5つの条約の総称です。
       
安政五ヵ国条約は勅許の無いまま、大老・井伊直弼が締結したため、朝廷側から無効とされ、朝廷と幕府の対立が激化することになります。
          
その後、反対派の幕臣や志士、朝廷の公家衆を大量に処罰する「安政の大獄」や、大老・井伊直弼が暗殺される「桜田門外の変」へ繋がり、倒幕の時代が始まりました。
        
開港は、不平等条約の下での自由貿易でした。問題となったのは、領事裁判権の規定、関税自主権の欠如、片務的最恵国待遇で、これら不平等条約の撤廃は、次の明治政府の仕事となりました。
       
実際の開港日は、安政6年6月2日(1859年7月1日)で、横浜、函館、長崎の3港が開港します。横浜市では開港した安政6年6月2日に因み、6月2日を開港記念日としています。
        
なお、同じ日に開港した函館は、新暦(1859年7月1日)に因み、7月1日を開港記念日としています。

長崎は、安政の開港の287年前からポルトガル貿易船が入港していることから、最初のポルトガル船が入港した1571年4月27日に因み、開港記念日を4月27日としています。
         
安政五カ国条約では、新潟、神戸(当時は兵庫)の開港も約束されていましたが、種々の事情で、この2港の開港は遅れました。神戸は慶応3年12月7日(1868年1月1日)に、新潟は明治元年11月19日(1869年1月1日)に開港されます。
  
また、江戸幕府が、横浜、長崎、函館の開港を布告した1859年の6月28日に因み、6月28日は貿易記念日となっています。
         
*参考…ジェトロ:貿易記念日講演会、横浜開港祭実行委員会:開港記念日の由来


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函館港
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神戸港
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長崎港
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