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ウクライナ、危険レベル4、退避

2022年2月11日、外務省がウクライナについて、危険情報を発表しました。

ウクライナは、東にロシア、西にハンガリー、ポーランド、ルーマニア、北にベラルーシ、南は黒海に面する東ヨーロッパの国。主な民族はウクライナ人(78%)とロシア人(17%)です。
   
1991年、ソ連邦崩壊により独立し、民主主義国家となるも、民族対立(ウクライナ人とロシア人)が続いています。また、ウクライナにいるロシア人をロシアが支援し、ウクライナとロシアの対立ともなっています。
   
現在、ウクライナの国境周辺地域(ロシアとベラルーシとの国境)では、ロシア軍の増強により緊張状態が高まっています(ロシアがウクライナに侵攻する可能性が高くなっています)。
  
この状況を受け、外務省は11日、ウクライナ全土の危険レベルを3(渡航中止勧告)から、4(退避勧告)に引き上げ、ウクライナに滞在されている方に対し、民間商用機を含む最も安全な手段で、直ちに退避するよう呼びかけました。
   

*民主主義国家となったウクライナは、西側(EU)の一員になることを望んでいますが、ウクライナとロシアの国境からロシアの首都・モスクワまでの距離は約500kmです。ウクライナが西側の一員になると、ロシアは俗に「首にナイフを突きつけられた形」となります。それを阻止するための侵攻とみられています
   

    
▮ ウクライナの歴史
   
1991年、ソ連邦崩壊により独立し、民主主義国家となるも、内政は混乱(度重なる首相の交代、議会解散と再選挙など)しました。
   
2013年11月21日以降、EUとの統合を目指す国民が、首都・キエフの独立広場を中心にデモ(大規模反政府集会)を実施。2014年2月18日からデモ隊と警察が衝突、多数の死傷者(死者82名)が発生する事態となりました。

2014年2月22日、反政府側が大統領府などを確保。ヤヌコーヴィチ大統領は大統領府を脱出し、ロシアへ逃走。
   
最高会議(国会)はヤヌコーヴィチ大統領の解任し、大統領権限をトゥルチーノフ最高会議新議長に移管。大統領選挙を2014年5月25日に実施することを決めました。


これに対抗して、2014年2月27日から28日にかけて、クリミア自治共和国政府がクリミアにある主要施設を押さえました。
   
クリミアは元々ロシアの領土で、ソ連時代にウクライナに組み入れられていました。ソ連崩壊後、ウクライナに留まるも「自治共和国」となっていました。人口の60%はロシア人で、領内にはロシアの軍事基地も存在します。
          
2014年3月1日、ロシア上院が、ロシア系住民の保護を根拠にウクライナへの軍事介入を承認しました。
    
2014年3月11日、クリミア自治共和国議会がウクライナからの独立を宣言。3月16日、ロシアへの編入を問う住民投票が行われ、賛成多数で承認。3月18日、クリミアをロシアに編入する条約が締結しました。その後、ロシア連邦議会で条約が承認され、編入手続きが完了しました。
   
ウクライナ東部においても、ロシア支持派住民が州政府の建物等を占拠して、ウクライナ政府と対立、戦闘状態に入りました。


2014年5月25日、ウクライナ大統領選挙が行なわれ、ペトロ・ポロシェンコ氏が当選。6月20日、ポロシェンコ大統領がウクライナ東部における一時的な停戦を命令。同時に、東部の情勢の解決に関する平和計画を発表しました。

2014年7月1日、一時的な停戦を打ち切り。以降、ウクライナ東部において、再び戦闘状態となりました。
    
2015年2月12日、ドイツ、フランス、ロシア、ウクライナの4首脳が、2月15日から停戦することで合意しましたが、完全には履行されず、ウクライナはその後も不安定な状況が続いています。
           

*参考…外務省発表「ウクライナ情勢」、「ウクライナ一般情報」
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