太閤街道殺人事件
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小林優香と別れた後、岩田は清洲城(愛知県清須市)へ向かった。
     
太閤街道ツアーは中村公園を見学した後、清洲城へ向かう。

一般道を北上し、約15分で到着した。

清洲城は、織田信長の城として有名である。
秀吉は、この清洲城の主・織田信長の家来となり、彼の下で頭角を現す。

清洲は濃尾平野の真ん中に位置し、鎌倉街道と伊勢街道が合流する地点である。
    
古くから尾張の中心であった。しかし、江戸時代になると、尾張の中心は清洲から名古屋に移る。

清洲城も、名古屋城築城の資材として利用され、廃城になった。
現在建っている清洲城は、1989年に建設された模擬天守である。

岩田は城を眺めただけで、北へ向かった。
 
北というより北西である。行先は墨俣の一夜城跡(岐阜県大垣市)。

太閤街道ツアーは清洲の後、墨俣の一夜城跡を見学する。
清洲から約35分で到着した。

墨俣の一夜城は、美濃攻略のため、秀吉が一夜で建てたと云われる城である。
     
川上から資材を筏にして流し、この地で組み立てた。
もっとも、この墨俣の一夜城は後世の作り話とも云われている。
 
現在の墨俣には、一夜では造れない立派な天守(墨俣歴史資料館)が建っている。

(ここも問題はないだろう)
岩田は天守を見つめながら、思った。
     
和田かつ也は初日のツアーに参加していない。
      
岩田が岐阜市内に入ったのは、午後6時過ぎ。

岐阜はかつて、織田信長の城下として栄えた。
太閤街道ツアーは岐阜城を見学したあと、長良川温泉のホテルに入り、初日を終える。
      
岩田は岐阜城を城下から眺めたあと、ツアーが利用した長良川温泉のホテルを訪れた。
      
「和田かつ也について、聞きたいことが」
ホテルのフロントで、岩田がそう申し出た。

午後7時過ぎの忙しい時間帯であった。にもかかわらず、副支配人が岩田の相手を務めた。
    
新しい事実は、和田かつ也の宿泊が直前に決まったこと。

「はい。その日の午後8時過ぎ、中京総合ツーリスト様から」
ホテルの副支配人が、はっきりと答えた。
   
手続きやホテル代金もすべて、中京総合ツーリストが行なった。
そして、翌日から和田かつ也は太閤街道ツアーに参加した。

「警察から何度も聞かれましたが、フロントをはじめ誰一人、印象に無く。防犯カメラの映像で確認しました」
   
「とくに怪しいところは無く、誰かと接触している場面も無かったと思います。防犯カメラのテープは警察が持ち帰りました」

岩田は部屋の空きがあるかどうか、尋ねた。
スイートルームでよろしければ、という返事であった。

 
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風景
名古屋の夜景:©愛知県
風景
岐阜市街地:©フォトック
風景
岐阜城:©フォトック
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