『阿倍野岩田探偵事務所でしょうか?』
男の低い声であった。かなりの年輩のようである。
「はい。そうです」
『天満で画商をしております湯浅と申します。依頼したいことがございまして』
天満は、大阪駅から東南に約2キロの地点。そのまま東南に進むと、大阪城に行き当たる。
「どういう御用件でしょうか?」
『絵を探していただきたいのですが』
「絵ですか?」
依頼を断わるかどうか、岩田が考えた。
探偵事務所は岩田ひとりだけ。1人で対応できない依頼は、引き受けないようにしている。
『はい。こういう依頼は、そちらの探偵事務所が間違いないとお聞きしました』
(誰の紹介だろう?)
結局、1時間後、画商と会うことになった。
昼食は、320円の「のり弁当」を買って、済ませた。
約束どおり現れた画商は、白髪で恰幅がよく、歳は70才前後に見えた。
そして、事務所に入ったとき、一瞬、驚いた顔をみせた。
元刑事は、それを見逃さなかった。
紹介されて訪ねたが、古い雑居ビルの小さな1部屋。
室内には、わずかな家具とノートパソコン以外、何もなかった。ファックスも、コピー機も無い。
探偵も、元刑事がひとりだけ。誰が見ても、優秀な探偵事務所にはみえない。
画商もそう感じたはず。
依頼してこない可能性があった。
岩田には好都合であった。依頼を引き受けることに、気が進まない。
岩田の予想は外れた!
「19世紀のフランスの画家・マッホの絵です。御存知でしょうか?」
画商はそう切り出した。
「いえ。絵はまったく」
「そうですか」
別にがっかりするで無く、淡々と応じた。そして、画商は絵の写真を机の上に置いた。
(いい絵だ)
フランスの田園風景の絵であった。
「実は…、絵を3千万円で買うと契約したところ、持ち主がいつまで経っても店に持ってきません」
「持ち主に電話をしましたが、つながりません。そこで昨日、自宅マンションを尋ねました」
「マンションの管理人から、彼が殺害されたことを知りました」
画商は、殺人事件を日常会話のように話した。
「殺されていたのですか?」
「はい。死体は有馬温泉の公園にありました」
岩田の質問に、画商が淡々と応えた。
(まさか)
「マンションの管理人に頼み、部屋の中をみせてもらいました。絵は…」
画商は、ゆっくりとクビを左右に振った。
「警察にも問い合わせましたが、絵は無かった、そう言われました」
「関係が有りそうなところはすべて。絵の行方がわかりません」
「絵の持ち主は、和田かつ也という男です」
画商が低い声で、はっきりとそう告げた。
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