太閤街道殺人事件
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岩田の車は、関ヶ原から国道365号線に入り、北上した。

関ヶ原から約20分、姉川に着いた。

「この辺り一帯は、1570年、織田・徳川連合軍2万8千と、浅井・朝倉連合軍1万8千が戦った戦場跡です」
ツアー添乗員の小林優香が解説した。
      
美濃(現在の岐阜県)を押さえたあと、織田信長は天下統一を目指す。
       
しかし、義理の弟・浅井長政が裏切る。そして、ここ姉川で激突することになる。

「秀吉も、信長の配下として参戦しました」
   
「川の水が赤く染まったことで、有名ですね」
歴史的激戦となったため、多数の死傷者が発生、人の血で川が赤く染まった。

「はい。姉川の戦いは織田方が勝利。秀吉は浅井家滅亡後、その領地の一部を貰い、一国一城の主となりました」

「それが長浜ですね」
      
「はい。ツアーは姉川の後、琵琶湖に沿って北上、賤ヶ岳へ向かいます」
賤ヶ岳は、1582年、秀吉と柴田勝家が戦った古戦場である。
   
柴田勝家は、織田家の重鎮であった。
本能寺の変で織田信長が死去したあと、跡目を巡り、秀吉と対立した。
   
結局、戦となり、それが賤ヶ岳の戦い。
秀吉が勝利し、信長の後継者としての地位を固めた。

「山には登りません。下から眺めるだけです」
賤ヶ岳でのツアーについて、小林優香が説明した。

「もったいないですね」
山頂には、この戦で活躍した賤ヶ岳の七本槍(福島正則や加藤清正など)の武士像がある。
     
山頂から一望できる、奥琵琶湖の景観もすばらしい。

小林優香がうなずいた。

 
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