話しながら歩いているうちに、高台寺下に来た。
東山通から、細い情緒のある石畳の坂道へ入った。
そして、「ねねの道」と呼ばれる広い通りに出た。
そこに、高台寺があった。
急な階段を登り、境内に入った。
「ツアーは、北野天満宮や大徳寺を回らないのですね?」
北野天満宮では、秀吉は大規模な茶会を催した。
大徳寺は、秀吉が織田信長の葬儀を執り行った寺院である。
ともに、ゆかりの深い場所である。
「高台寺参詣が終わると、午後2時過ぎ。それ以上は…」
「時間的に無理、ということですね」
「はい。バスに戻り、有馬温泉へ向かいます。天王山の戦い跡もバスの中で説明するだけです」
天王山の戦いは、『山崎の戦い』と言われることが多い。
主戦場が京都と大阪の境・山崎だったため。
1582年、織田信長を討った明智光秀と、秀吉がここで激突した。
勝利した秀吉は、信長の後継者としての地位を得た。
「伏見も通るだけか…」
「伏見には、ゆかりの史跡が多数。それに秀吉は伏見城で亡くなった。終焉の地になりますね」
岩田が呟くように言った。
伏見は京都市伏見区。
日本酒の名産地として名高い。
古くから、京都、大坂、奈良、近江への陸路、水路が交差する、交通の要所であった。
豊臣秀吉は、晩年、この地に居城(伏見城)を築いた。
そして、城下町を整備した。
伏見城は秀吉の死後、廃城となったが、城下町には秀吉に関する史跡が多数残されている。
「はい。でも、辞世の句が『なにわの事も ゆめの又ゆめ』ですから、大阪城で亡くなったと思っている方も」
「つゆとをち つゆときえにし わがみかな〜 なにわの事も ゆめの又ゆめ〜」
岩田がフシを付けて、辞世の句を歌った。
(ここも関係は無いだろ)
岩田と小林優香は高台寺を後にした。
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